女子プロテニスプレイヤーの大坂なおみさんが、女子アスリート年収額としては過去最高額となる40億円越えを達成しました。
今回は、「大坂なおみ40億円超え歴代世界一!経歴を支えた父親とコーチが凄い」と題して、大坂なおみ選手を支えた父親と歴代コーチの指導法など、盛りだくさんの内容でお届けしていこうと思います。
大坂なおみ40億円超えで世界一へ
大坂なおみ選手の世界一達成記録として話題になっているのが、歴代女性アスリートの年収過去最高額達成です。その額は、3740万ドルで日本円に換算すると40億2千4百万円ほど。
世界の女子アスリートの過去の年収ランキングを見てみると、アメリカ女子テニスのセリーナ・ウィリアムズ選手が4年連続で1位を陣取っていましたが、ここにきて大坂なおみ選手がトップに!
今回発表された大坂選手の3740万ドルという額は、4連続で不動のトップを陣取っていたセリーナ・ウィリアムズ選手の最高年収を140万ドル上回っているということですが、ここまで数字が大きくなると、140万ドルの価値がよくわからなくなってしまいす。
140万ドルを日本円に換算すると、約1億5千万円という莫大な金額なんですが、差額と表現してしまうとなんだかわずかなものに感じてしまいますが、とてつもない額なんですよね。
ちなみに日本人の平成30年の平均年収は、441万円だそうです。また、一生涯で稼げるお金、いわゆる生涯年収(賃金)が、2億円といわれてますから。
大坂選手とセリーナ選手の年収の差額が1億5千万円ですよね。差額が・・・です。実際に大坂選手が稼いだ年収が40億2千万円以上ですか・・・。もう何と比較しようとしてるのか、比較の対象としては成立しませんね。
そんな凄い記録を達成した大坂選手ですが、彼女の経歴はどういった経歴なのか?また、大坂選手を支えた家族や歴代コーチはどうやって彼女を支えてきたのか?素朴な疑問ですよね。
大坂選手は、日清食品ホールディングスに所属していますが、実際の活動拠点はアメリカのフロリダ州です。出身は、大阪府大阪市ですがここでの生活期間はわずか3年ほどです。大坂選手が3歳のころにはアメリカ(ニューヨーク州→フロリダ州)に移住し、現在に至ります。
大坂なおみの基礎は地元大阪のテニスコート
大坂選手は1997年生まれの23歳です。
テニスを始めたのは3歳からで、そのきっかけは姉でありプロテニスプレイヤーでもある、大坂まり選手の影響が大きかったといわれています。
そんな大坂選手がプロに転向したのは、2013年ということで彼女が16歳のころですが、そこから女性アスリート年収歴代記録を塗り替えるまでわずか7年間です。
もちろん幼少期からテニスに触れてきた経緯や、テニスを始めるきっかけとなった姉の存在、また、興味を持ったテニスを後押しし続けてきた父親という存在があってこその偉業であることは明確ですよね。
地元大阪での練習場所は靱(うつぼ)テニスセンターで、現在はITC靱テニスセンターと名称が変わっています。テニスファンの間ではテニスの聖地と呼ばれているそうです。
姉である、まり選手の影響で始めたテニスですが、姉といってもなおみ選手との年の差はわずか1歳差です。
なおみ選手より先にテニスを始めていたのは、姉のまり選手ですが、わずか4歳で妹のなおみ選手を指導することは到底無理なわけです。ちびっこプレイヤーの先輩としてアドバイスしていたということは想像できますが^^
じつは、このころ、まり選手となおみ選手を指導していたのは父親なんですよね。といっても父親にはテニスの経験がなく実際に技術的な指導をしていたのか、彼女たちの練習を見守っていただけなのかはわかりません。
今の大坂選手を見ると、幼いころから、「プロの教えの下でみっちりトレーニングを積み重ねてきたんじゃないか?」誰もがそう考えるんじゃないでしょうか。
また、スポーツ選手に限ったことではありませんが、プロの中でも「トップレベルの域にある人たちの多くはいわゆる英才教育を受けているんじゃないか?」そうも考えますよね。
ところが、大坂選手の場合そうではないんです。もちろん、のちに移住するアメリカでは様々なトレーニング施設で厳しい練習を重ねることになるんですが、テニスの基礎はあくまで地元大阪の靭テニスセンターなんですね。
【お知らせ】靭公園ラボ
ITCうつぼテニスセンターが休業延長になりました。
3/18(水)も残念ながら休講となります。
ご迷惑をおかけ致しますが、よろしくお願い致します。弁天町ラボは3/14(土)まで休講です。#忍者ナイン #靭公園 #弁天町 https://t.co/u565tc0CGz
— 忍者ナイン 弁天町·靭公園ラボ (@ninja9spf293) March 13, 2020
表現の仕方が正しいかどうかわかりませんが、テニス経験者としての先輩は、一つ年上でこのころ4歳の姉。指導者はテニス経験のない父親ですので、この時期から世界を目指していたわけではないと考えるのが自然ですね。
3歳と4歳の娘が、近所の練習場でテニスを楽しむ姿を父親が見守る。このいたって普通の風景がのちの世界ランキング1位!いまの大坂なおみの基礎ということが言えますよね。まさに人生何が起こるかわからないといったところでしょうか^^
「好きこそ物の上手なれ」といいますが、まさにそのとおりで、必ずしも英才教育的なトレーニングや指導を受けていなくても世界のトップに立てる!そう考えると夢が広がりませんか?
大坂なおみ:アメリカ・ニューヨークへ
わずか3年間という短い期間を日本で過ごした大坂選手ですが、その後は父方の祖父母が住んでいる、アメリカニューヨーク(ロングアイランド・エルモント)へ移住することとなります。
幼少時代からテニスに慣れ親しんでいたとはいえ、現在の大坂選手は、女性アスリート獲得年収1位となるほどのトッププレイヤーです。いくらなんでもこの時期には、特別な指導を受けていた!そう思いたいところですが、それを裏付けるほど確信のある情報が見当たらないんです。
ただ、全く何もなく単に好きなテニスを楽しんでいただけかというとそうでもないようです。
というのも、アメリカに移住した2001年から練習の拠点となっていたのは、ニューヨークにあるナショナル・テニス・センター(USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター)です。
このナショナル・テニス・センターは、なんとテニスの4大国際大会の一つである全米オープンのメイン会場になっているテニス施設で、その規模は収容人数23,771人、22面ものテニスコートを備えているテニス専用の巨大スタジアムです。
大坂選手がアメリカに移住したのは2001年なので、この時大坂選手の年齢は4歳です。5歳の姉である大坂まり選手と、テニス経験者でない父親の3人でナショナル・テニス・センターへ足しげく通って練習に励んでいたと思われます。
前述の様に、大阪家族がこの地へ移住した理由の一つは、父方の祖父母が住んでいたからという情報があります。ただ、移住の理由の中には、プロテニス界への将来を見据えていたのでは?と推測することもできますよね。
世界4大国際大会のメイン会場が地元とは、なんとも恵まれた環境です。大坂選手がこのナショナル・テニス・センターを拠点としていたのは、2001年から2006年までのわずか6年間ほどです。
最高の立地環境を離れるに至った理由はいったいなぜ?そう思いますよね。その理由はいったい何なのか・・・かなり調べましたが、明確な根拠がある情報が得られないままです。
大坂なおみ選手につての情報は、インターネットを検索すれば山ほど見るかりますが、推測と取れるような情報が多いのも事実です。
よほどの理由があったのか?それともこの時期には、まだ将来へのプロテニス界への戦略を立てていたわけではないのかもしれません。
一つ解せないのが、このころの大坂選手の練習時間は1日6時間以上という情報があるんですよね。いくらテニスが好きだからとはいえ、6時間以上もの練習をこなす理由・・・。前述と矛盾せざるを得ませんが、このことは将来への戦略の一つだったような気がしてなりません。
独学といってしまっていいのかどうかわかりませんが、プロのコーチを付けず父親の指導の下での6時間の練習だったとすれば、父親の指導がすごいのか?もしくは大坂選手のセンスがすごいのか?やはり持って生まれた才能ってあるんですかね。
この時期に特別なトレーニングやプロのコーチによる指導は受けていなかったようです。なぜかというと、大坂選手が初めて専属のコーチを付けたのはプロテニス選手としてデビューした2013年だからです。
大坂なおみ:アメリカ フロリダ州へ
大坂選手は、2001年から2006年までのニューヨーク生活を経て、現在の活動拠点であるフロリダ州(ペンブロークパインズ)へ移住することになります。
このフロリダでの練習拠点は、地元ペンブロークパインズの公共テニスコートです。日本でも地元の靭(うつぼ)テニスコートを拠点とし、次の移住先となるニューヨークでも、地元のナショナル・テニス・センターが練習拠点です。
何が言いたいかというと、練習拠点をあえて選んで移住したという経緯ではなく、移住先にたまたまテニスコート(練習場)があったのではないか?ということです。
今の大坂選手を見ると、このころにはすでに本格的なトレーニングを行っていたかのように想像しますが、その練習拠点はいずれも地元のテニスコート・・・。
ナショナル・テニス・センターの規模を考えると、たしかに世界的なテニスプレイヤーを目指していたとも考えられますが、のちに地元ペンブロークパインズの公共テニスコートが拠点ということを考えると、ストーリーとしては大きく矛盾しますよね。
ちなみに、この時のペンブロークパインズの公共テニスコートがどの程度の規模なのか?これに関しては正確な場所や設備に関する情報が見当たりません。
一つ言えることは、先ほどのナショナル・テニス・センターほどの巨大規模ではないだろうということです。というのも、4大国際大会のうち大坂選手の居住地アメリカで行われるのが、ナショナル・テニス・センターの全米オープンです。
あとの3大国際大会は、フランスの全仏オープンと、オーストラリアの全豪オープン、そしてイギリスのウィンブルドンです。
こう書いてしまうと、今の大坂選手のレベルから逆算して、過去の経歴とすべて結び付けようとしてしまっているようにも感じますね。まるでドラマのようなストーリー・・・そうならないところが実はリアルなんですよね。
大坂なおみの初の専属コーチは
大坂なおみ選手がプロとしてデビューしたのが2013年です。そして、初めて専属のコーチがついたのも同じく2013年です。
この時大坂選手を指導したコーチは、パトリック・タウマという方で、のちに大坂選手に対して報酬未払いがあったとして訴訟を起こしています。
パトリック・タウマというコーチは、実は大坂選手のほかにも多くのプロテニス選手を指導していいて、その中の一人が記事冒頭で紹介したセリーナ・ウィリアムズ選手です。
さらには、マリア・シャラポワ選手(自己最高ランキング1位)やビーナス・ウィリアムズ選手(自己最高ランキング1位)などのトッププレイヤーを指導してきたパトリック・タウマの経歴はテニスファンの間では周知の事実となっています。
大坂選手にとって決して良いイメージとは言えないこの訴訟問題ですが、一説には、報酬未払いの理由が大坂家の生活困窮論だという説もありますが、確信的な根拠があるわけではありません。
翌年2014年以降は、自身でも世界ランキング5位の経歴を持つハロルド・ソロモンをはじめ、アントニオ・ファン・グリヘン、デビッド・テイラー、サーシャ・バインなど、いずれもトッププレイヤーたちの指導歴を持つ名コーチから指導を受けています。
プロとしてデビューして以来、実に多くのコーチから指導を受けている大坂選手ですが、近年までその流れは続いていて、2019年以降、ジャーメイン・ジェンキンスやウィム・フィセッテといったコーチ陣の名前を日本のテレビ番組で耳した方も多いのではないでしょうか。
歴代コーチとのトラブル関係のニュースも多くある大坂選手ですが、彼女ほどのトッププレイヤーを指導する側のコーチ陣のプレッシャーはいかほどなのか、想像することすらできません。
過去の大坂選手について一部報道では、彼女のメンタルの弱さが試合の結果につながっているのでは?また、コーチ陣との不仲説に関しても、ある意味メンタル面ともいえる、わがまま説など、推測の域ですがマイナス面ともいえる報道が複数ありましたよね。
プロ中のプロ、一流の中の一流、そんな一握りのトッププレイヤーを指導するコーチ陣のプレッシャーは、実は選手本人とは比べ物にならないほどすさまじいものなのかも。
まとめ
今回は「大坂なおみ40億円超え歴代世界一!経歴を支えた父親とコーチが凄い」と題して、大坂なおみ選手の父親と歴代コーチ陣に的を絞ってお届けしました。
今回、大坂選手が成し遂げた女子アスリート歴代最高年収3740万ドルという数字は、ひょっとして大坂なおみ選手のプレッシャーと比例する数字なのかもしれませんね。
この大記録を成し遂げた陰には多くの指導者の存在があったと思いますし、もちろん大坂選手ご自身の努力があったことは言うまでもありません。
また、幼少期から、なおみ選手、まり選手を一番近くで見守り続け、ある意味指導してきた父親こそ世界一の名コーチなのかもしれませんね。
もはや、うらやましいとか、憧れとか、そんなレベルでは語れないほどの世界感ですが、大坂なおみという存在を一人の人間として考えれば、彼女に追い付き追い越せという希望・・・目標を持ってみてもいいのかも。
頂点に立った人間にしかわからない、想像を絶するほどのプレッシャーに押しつぶされることなく、この先もトッププレイヤーとして活躍し続けてくれることでしょう。
この先の大坂なおみ選手の活躍がますます楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
コメント